沿革


明治44年に初代初山長太郎が足利銘仙織物の縦糸柄付け捺染の染を足利市緑町にて創業。

 

初山長太郎は埼玉県八潮市出身、若い頃より古武道柔術、講道館柔道の有段者で各地を転々と修業し、古武術喜楽流15代宗家が栃木県栃木市に居住していたことから足利で修業を続けていたが、喜楽流16代宗家として足利市にきた。

 

八潮市の実家は代々江戸小紋や浴衣の捺染業を家業としていたために繊維の街、足利で創業後に講道館柔道場、弘武館を足利市田中町に開設、染色と柔道をなりわいとした。

八潮市では江戸浴衣、江戸小紋の生地を捺染していた関係で、足利銘仙にその技法を取り入れた

 

二代初山金三郎は東京都葛飾区出身長太郎の甥で娘正代に婿入り、銘仙の型染を受け継ぐ。

 

銘仙の衰退とともに型染めも衰退。

 

三代目初山明が足利で隆盛しつつあったトリコット染色に参入、捺染から浸染に変革してトリコットからインナーレース、アウターレース、綿ニット等を染色しながらレースカーテンの防炎加工に特化した。

 

四代目初山亮二は、日本古来の染色に現代の技術を加えた和染めを開発し、自然素材で機能性繊維を開発した。

フランス国パリ市の公立ポールポワレ校の染色講師、デュブレ美術学校とコラボレーションもしています

 

染められない繊維は無いと自負しながら現在も愚直に染めています。

 

四代目 初山亮二