繊維の街足利

 奈良-平安-鎌倉時代

足利市の織物も歴史は奈良時代から始まります。奈良の大仏開眼の時、御領地として織物が送られています(正倉院の記録)

鎌倉時代の『徒然草』には、「年毎に給わるは足利の染め物」との記述は有名です。

 

 江戸時代

江戸時代は木綿織物が多くなり、「足利結城」や「木綿縮」等が人気を得て、「足利織物」が大衆に大いに」受け入れられました。

 

 明治-大正時代

絹織物改革に努め、力織機導入などで海外販路を拡大拡大し、直接輸出体制を確立した。

その背景には、織物講習所 (現足利工業高校) の設置、両毛鉄道の敷設、足利銀行設立等の経済基盤確立がありました。

 

 昭和時代

昭和に入り織物の主力は内地物になり、優れたデザインの足利銘仙は年々生産が増加され、手ごろな価格の絹織物であったことで一世を風靡した。

戦後は、足利の基幹産業としてトリコットの隆盛を経て、繊維産地としてその名を引き継いでいる

 

 

 

 

足利学校

足利市には日本最古の学校である足利学校もあります。成立年代は諸説ありますが室町時代には学ぶ生徒3000以上と記録もあり、キリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルは「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー(坂東の大学)」と記し、足利学校は海外にまでその名が伝えられたました。当社初山染工のある借宿町は前九年の役・後三年の役に出陣した源氏が借りの宿を置いたことに由来し、源氏屋敷と呼ばれる地域でもあります。

源氏の街 足利市

足利氏は、源義家の孫である義康が下野国足利荘に在して足利を名乗ったのにはじまる。

足利氏は、室町幕府開祖の足利尊氏を輩出している

足利氏邸宅跡が国宝鑁阿寺として市民の憩いの場所になっている